小学生の大キレット挑戦(後編)~親子テント泊登山

北穂高岳

2021.9.19~9.20、長男ソウタと2人で大キレットを越えて北穂高岳に登った話。前編の続き。2日目、ついに大キレットへ。

小学生の大キレット挑戦(前編)~親子テント泊登山

翌朝。昨日の地震は頭からすっかり消え去っていた。身体で感じる余震はなく、ものすごく静かな朝だった。既に結構なテントが撤収されていて、大キレットに向かう登山者も見えた。あ、僕らも行こう!って。これ、正常性バイアスってやつ。

親子登山であるので、リスクの低い判断をするなら「ここで下山」が正解なんだろうね。僕は「行く」ことを決断したわけだけど、大キレット通過中に大きな余震がきていたら・・・と、今でも少し後悔している(結果的には通過中に地震は来なかったわけなんだけど、それは運が良かっただけの事)。もちろん、無理とわかればソウタには引き返すと伝えている。とにかく細心の注意を払いながら、約3時間、全集中して歩く。

大キレットを歩く

ここが大キレット。あれが長谷川ピークで、あの辺りが飛騨泣きだ。なんてことをソウタに説明しながらの序盤戦。

南岳小屋から、まずは結構急な下り。地震の影響による落石や崩落はないようで、いつも通りの岩場くだり。僕もソウタも下りは苦にならないので、それなりのペースで最低コルへ。

想像してたよりも歩きやすく感じた。梯子もいくつかあったかな。

振り返ってみると、結構なところを降りてきたのに、それほど感じないのは、歩きやすいようルートが付けられているんだと思う。

昨日、ガス缶を分けてくれた2人が先行している。後ろにも2人が見えている。これは僕が望んでいた布陣。前後に登山者がいることで、何かあった場合の選択肢は拡がる。助ける側・助けられる側、どっちになるかなんてわからないけど、同じ空間に誰かがいるってことは、初めて大キレットを歩く僕らには、とっても心強いのだ。

ここまでは、とても歩きやすく、「もしかすると、大キレットは想像してるより難しくないのかも…」なんて甘いこと考えてました、さーせんw。長谷川ピークから飛騨泣きのセクションで、そんなことはないと思い知らされるのであった。

長谷川ピークが近づくにつれ、徐々に難易度が上がってきたのがわかる。浮石に注意しながら、登っていくと・・・

きた!長谷川ピークだ。これが「Hピーク」のペンキ文字。気が付かずに通り過ぎてしまう人も多いみたいだけど、僕らの辿ったルートからは文字がはっきり見えたので、通り過ぎることはなかった。ここで写真を撮りたかったんだ。

Hピークの先、ここから一気に様相が変わった。ここ行くの?みたいな場所。僕もソウタも、いきなり難易度が上がったことを理解しながら、慎重に目の前の鎖や岩場を進んでいく。写真で見返すと・・・こわっ!

初めての大キレットなので、どのポイントもとにかく必死。ほどよい緊張感により集中力も一気に高まっていく。いわゆるアドレナリンってやつだ。

すげー厳しいw。ナイフリッジと言ったら大袈裟なんだろうけど、そんな感じの岩を辿っていく。おまけに、天気が良すぎて、右も左も視界良好(笑)そこまで高度感は感じなかったけど、凄い場所を通過してるなというのはわかる。この写真はソウタが撮ったもの。初の大キレットに臆することなく、むしろ写真を撮る余裕があるなんて凄い。

ここも予習してきたポイント。飛騨側に跨ぐところは確かに怖く感じる人もいるかもしれない。個人的には、ここよりも手前のリッジの方が怖さを感じた。その感覚はソウタも同じだった。

南岳方面から見るとわからない長谷川ピークの裏?の顔。鋭いぜ。あの岩場を越えてきたんだ。

無事、長谷川ピークを突破し、A沢のコルへ着地。ちょっと一休み。

次は、これを登っていくわけね。ここで、上の方から声が聞こえた。僕は何を言ってるか聞き取れず、少し離れた後ろの登山者には聞こえたみたいで、「大きな岩を落とすから、ちょっと待ってください」とのことでしばし待機。数分待ってから、リスタート。

南岳からA沢のコルまでは地震の影響はまったくなかったが、この先に地震の影響で一部崩落しているところがあるみたい。気を引き締めて。

先程の声の主は、北穂高小屋の方だった。地震の影響を確認するため、長谷川ピークまで歩くとの事。危なそうな大きな石を滝谷へ落としたみたい。南岳から長谷川ピーク・A沢のコルまでは、全く影響がなかったことを報告しておいた。

ニュースにもなっていた大キレットでの遭難事故(後日、滝谷で発見されたよう)。地震の影響によるものか、それとも地震とは関係なく滑落してしまったのかはわからないけど、ここは死と隣り合わせの場所であることは間違いない。急がず、慌てず、慎重に、丁寧に。ミスをしないよう心掛けながら進むしかない。

実は、一ヶ所だけ、ものすごく危ない場所があった。小屋の方が石を落とした辺りだと思う。少し崩落しかけていて、力を入れると、ごそっと崩れ落ちそうになる部分があって、二人とも冷や冷や。こんなところで地震がきたら・・・と考えたらゾッとする。

こんな険しいところ歩いたっけ?な写真ばかり(笑)それくらい集中してたってことで。

ここから飛騨泣き。良くみかける目の前の壁は、ソウタの身長では登れなくて、僕が先に登り、手を貸して引き上げた。

大キレットに挑む小6男子。

このステップも何度も写真で確認した。鎖もあり、ステップもしっかりしていて、これまでの不安定な足場に比べると妙な安心感もあったりするわけだけど、気を緩めずに通過。

無事、大キレットの核心部は抜けたようだ。一気に気が緩んだ。いや、緩めちゃダメなんだけど、なんだかホッとしたのが正直な気持ち。それだけ張り詰めた状態で長谷川ピークや飛騨泣きを越えてきたんだ。

核心部を抜けたとはいえ、気は抜けない。目の前の北穂高小屋まで怪我無く辿り着くこと。

普段なら、ギャラリーも多く、小学生がここを登ってくると注目を浴びるみたいだけど、この日は地震の影響もあって小屋には誰もいなかった。静かなビクトリーロード。無事に通過できたことを噛みしめながら一歩一歩。

なんかそれっぽい写真をソウタが撮ってくれた。「パパ遅いなぁ、止まってばっかり」が本当のところか(笑)

約3時間半、大キレットの大冒険を無事に終えた。一般登山道国内最難関ルートだけあり、痺れるところばかり。ソウタと一緒に目の前のルートを確認しながら、時にアドバイスをしたり、サポートしたり、お互い協力し合いながら、濃厚で充実した時間を過ごすことができた。

結果的には、大きな余震もなく、無事に通過することができたのは、ただただ幸運だったと思う。行くべきじゃなかった。なんて意見があるかもだけど、目標だった大キレットをソウタと一緒に歩くことができたことは本当に良かったなって思う。

北穂高小屋で、これまでで最高に美味しいペプシをゴクリと飲んだ。しばし達成感に浸る。それにしても人がいない。地震の影響もあり、涸沢から登ってくる人が少ないんだね。

3000m峰21座、北穂高岳へ登頂

小屋の裏にある北穂高岳(3106m)に登頂。ここは大キレットを越えて登りたかった場所なので念願叶った。これにて3000m峰21座は、南アルプスの4座を残すだけ(農鳥、悪沢、赤石、聖)。

北穂高から見えた奥穂高岳、右にはジャンダルムも。

念願の穂高へ!前穂高岳から奥穂高岳&涸沢岳~子供とテント泊登山(奥穂高岳編)

お隣の涸沢岳方面。北穂~奥穂間は、またの機会に。もしかすると歩くことはないかもしれないけど…

念願の穂高へ!前穂高岳から奥穂高岳&涸沢岳~子供とテント泊登山(涸沢岳編)

念願の穂高へ!前穂高岳から奥穂高岳&涸沢岳~子供とテント泊登山(奥穂高岳編)

念願の穂高へ!前穂高岳から奥穂高岳&涸沢岳~子供とテント泊登山(前穂高岳編)

崩落による転倒

北穂高岳からの絶景を堪能し、涸沢へ下山開始。しかし、ここから本当の試練が訪れるとは、まったく思いもしなかった。下山を始めて10分くらい。北穂のテント場を過ぎた先の鎖場で事故は起きた。

短めの鎖場になっているところで、上から見ると、左に緩くカーブしているルンゼ。先行者2名との距離が近かったので、少し間隔をあけてねとソウタへ声掛け。先行者が見えなくなったタイミングで、先にソウタが鎖を降りた。次に僕。ソウタが見えなくなるくらいのタイミングで(いつも以上に距離を取って)、僕が鎖を降りようとした、その瞬間。

右側の斜面(法面?)が崩落し落石。

まさかの出来事、まさかのタイミングに、何が起こったのか理解できない。ただ、目の前で、小さくない石が落ちていったことだけは分かった。

「あぁぁぁぁー、そうたー---」

咄嗟に声にならない声を上げる。ソウタの背中に石が落ち、石に背中を押されたような状態で数mほど転げていく。左に曲がっているポイントので、僕からは下で何が起きたのか全部は見えなかったが、目の前でソウタが転がっていく姿だけは、はっきりと見えた。

急いで、鎖を駆け下り(まったく覚えてない)、ソウタの元へ。

うずくまっている。真っ先に、生きてるかどうかの確認。大丈夫、生きている。ただ痛そうだ。さらに落石が起きたら大変なので、登山道脇に移動して状況確認。どこをぶつけたか。頭はヘルメットが守ってくれた、背中はリュックが守ってくれた。本人は右手首を押さえている。足も痛そうだ。

抱きかかえて落ち着かせる。しばらくしてから、立てるかどうかの確認をしたところ大丈夫だった。良かったぁ。少し歩くこともできた。よし、足と腰は折れてない。

でも、右手首はダメそうで、腫れているから折れたか、ヒビが入ったか。お尻や肘などの擦り傷もひどい。救急セットは持っていたんだけど、ここでは処置せず、どこか落ち着いた場所で消毒してガーゼを当てるつもりでいた。

現状を整理すると、足・腰は問題なく、歩行に影響は出ていない。右手首を動かすのは無理そう。頭部はヘルメットのない部分に少したんこぶがあるくらいで、意識もはっきりとしている。吐き気もなし。

さて、これからどうするか。

僕もソウタも山岳保険(JRO)に入っていて、ココヘリ会員でもある。ためらう事なく救助要請できる。こういう場面を想定し保険に加入しているわけだから。ただ、救助要請は最終手段とし、まずはソウタに確認したところ、歩けるというので、リュックは僕が2つ背負って、ソウタに肩を貸しながら南陵ルートを降りる事に決めた。もし、自力で涸沢まで降りれそうにない場合は、早めに救助要請することにする。

今回の落石だけど、まずは地震の影響で崩れやすい状態だったと思う。きっと絶妙なバランスでなんとか現状を保持できていた程度だったんじゃないかな。人が通過した振動や、少し触れたことで徐々にズレていき、崩れていった。そう考えている。登山道ではあるけど、足元ではなく横の斜面。そこから?という気持ちが強い。

この週末、地震の影響で至る場所で崩落や落石の危険性があったと思う。周囲を見渡し、気を付けながら歩く必要はあるんだけど、本当に不意を突かれた感じだったから。不注意なら反省できるし、次に活かすこともできるんだけど、そういうのが全くないから、怖さと、どうしたらいいの??という微妙は感情だけが残った。一番良いのは「忘れること」かもしれないね。でもね、目の前で自分の子供が転倒していく様を見てしまったら、忘れるより寧ろ、トラウマになるレベルよ…。

2人分のリュックを背負い、肩を貸しながらの南陵ルートは、かなり厳しい!ここは事故も多く、簡単な場所ではないから。何より、これ以上怪我をさせないように注意しなければいけない。僕が転んでしまったら、ソウタも巻き添えをくらう。追い怪我?なんて、もってのほか。大袈裟と思うかもしれないけど、ここの下り、人生で一番長く感じた。鎖もあったし、岩場もあった。ソウタの片腕を抱え込んで、リュック2つを背負っての岩場下り。父ちゃん頑張ったなぁ。

本来なら1時間くらいのところを、倍の2時間かけて涸沢までなんとか降りられた。正直、この状態で涸沢まで下山できないかも・・・と考えてたから、今でも信じられない。これは、ソウタ自身の強さのおかげもある。徐々に痛みが軽減していったのか、最後の方は怪我を感じさせないほどのペースだった。事故からのリカバリー、精神面も含めて見事。前向きで逞しいソウタを誇らしく思う。

念の為、長野県警の遭対協に崩落事故について報告。調書?を取られている時、登山届の有無、保険加入の有無などを聞かれたけど、登山届も出しているし、保険も加入している、ヘルメットも装着している。後ろめたいことが一つもなくて、自信を持って受け答えできたのは、これまでの経験によるものだなって。無駄な事は1つもなかったんだ。その間、別の隊員の方がソウタの擦り傷を綺麗に消毒してくれて、手首に包帯も巻いてくれた。救急セットを持っていると伝えたけど、「大丈夫だよー」と優しく声を掛けてくれて処置してくれた。その心遣いに涙が出そうになった。

ブログを読んでくれている人に、親子登山を楽しんでいる方も多いと思うけど、山岳保険には本当に入っていた方が良い。それとヘルメット。槍穂や岩場の多い山域では、必須アイテムだと思う。自分自身や子供達を守ってくれる道具だから。

遭対協の人に、改めて救助要請するかどうか聞かれたけど、ソウタに確認して、上高地まで自力下山することにした。決して無理をしたわけじゃなくて、本人は歩いて帰れるということなので。

緊張と不安でお腹が空いたようなので涸沢ヒュッテでランチ。食欲があるのは何よりの安心材料。生きてることを実感しながら、2人でカレーとラーメンをがっついた。うまい。

食事中、時間は12時半頃だろうか、この日初めて感じた大きな地震。至る所で落石の轟音、その音が数分鳴り止まないんだから想像以上。南陵の下山中に起きていたらと考えたらゾッとするし、まさに南陵の方でも砂埃が湧きたっている…。すれ違いで南陵ルートを登って行った人達は大丈夫だろうかと心配になった。

13時過ぎに涸沢を出発。上高地の最終バスが16時45分?だったか、僕らに与えられたのは約3時間半。コースタイム通りなら間に合わないけど、ソウタの脚力なら大丈夫だと信じて。ただし、これ以上怪我をしないことが前提なので、慎重に歩きながらペースは速く。なかなか難しいお題。バスに間に合わなければ、上高地で一泊して学校は休むつもりでいたから気楽ではあったけどね。バスに乗れたらラッキーくらいが丁度良い。

涸沢~横尾間は、山道なのでそれほどペースは上がらなかったけど、怪我をしている状態にしては良いペース。たまにリュックを背負ってもらったけど、やっぱり腕に響いて痛いみたいで、ほんのちょっとだけw。横尾から徳沢園までは、早歩き?競歩?みたいなペースで、かなり貯金ができたから徳澤園のソフトクリームまで食べてしまった。

無事、救助要請することなく上高地へ帰還。最終バスを覚悟してたけど、何本か早い時間のバスに間に合った。涸沢から上高地まで3時間で歩いたことになる。怪我した状況で・・・なんて強い子だ。逞しすぎて泣けてくる。

沢渡で足湯に浸かりながら、昨日のガス缶トラブルや地震のこと(前編はこちら)、大キレット越え、崩落・転倒事故。2日間で色々なことがあったよねとソウタと2人で笑い合った。無事で良かったと心の底から思えた。

小学生の大キレット挑戦(前編)~親子テント泊登山

病院へ

翌日、整形外科を受診し検査。右手首は骨折は見られなかったけど、ヒビの可能性がありギプス固定1ヶ月。擦過傷と打撲。念の為、頭部レントゲンも撮ったけど、血腫はなくホッとした。ヘルメット様様。今回の怪我で最後の運動会には不参加となってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱい。でもね、生きて帰ってきたことが何よりだと思っている。

もう一度書くけど、今回の事故で痛感したのは、登山届の提出と保険の加入、そしてヘルメット。どれも自分と子供達を守るものだから忘れないで欲しい。

自分の中で、なかなかブログを書けずにいた大キレット山行。やっと気持ちを整理して書くことができた。数ヶ月すれば、目の前で起きたことも忘れて、いつも通り山に向かうことができるものだと思っていたんだけど、案外そうでもなかった。少なからずトラウマみたいな感じにはなっていたんだろうね。あの時の事、今でも鮮明に思い出せるから。ソウタの怪我もあって、しばらく山から離れ、2か月後の塔ノ岳で復帰。それから、徐々に山に戻ってきている。まだ、岩場のあるテクニカルな山は歩いてないけど、そろそろ大丈夫そうなので、夏山に槍ヶ岳を歩いてみようと思う。(槍ヶ岳はユウタの熱烈な希望)

大倉尾根から塔ノ岳ピストン~親子登山

最後は事故のことばかりになってしまったけど・・・、目標だった大キレットを歩くことができた。それが何より嬉しい。一緒に歩いてくれてありがとう!